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2017年7月18日 (火)

あなたを信じます

「信じなければ始まらないこともあるのではありませんか。それとも、あなたを責めればいいのでしょうか。責めれば、あなたの気持ちは楽になるのでしょうか。でも、そうしたら私たちの気持ちはどうなるのです?」

井上祐美子の「雅歌」より。

清朝の初期の頃、中国でのキリスト教を巡る物語です。

主人公のフランは、満州人で貴族の家の冷や飯食らい。その彼が、カトリックの司祭を目指して勉学に励む中国人青年ジュリアン・李を助けたことから、物語は始まります。

フランはキリスト教に限らず、宗教や権威には反発したくなる性格。だから、ジュリアンに個人的に友情を感じたり、ヨーロッパの知識に興味を持ったりはするけれど、決して一線を越えて中に入ろうとはしない。ジュリアンも無理に彼をキリスト教徒にしようとは思わない。だから、つかず離れずの関係が続いてゆく。

そんな二人が、清の太祖・ヌルハチの直系でありながら、一族の多くがカトリックに帰依している、スヌという名家を巡って、様々な苦難に出遭います。

キリスト教徒であることと、当時の政治的な状況から、過酷な迫害を受ける一族と、どうにかそれを助けようとする二人。そんな二人がともに心を寄せるのは、一族の少女マリア(本名は祥児)

ジュリアンのこともマリアのことも、人間として好き。でも、ことが信仰に関わると、どうしても理解できないことがある。それがフランの優しさであり、苦しさでもあると思うのです。

そして、彼の目線から見ると、日本人として興味深いものが見えてきます。

満州人にとって宗教とは「ご利益がありますように」と思って、ご先祖様を拝むもの。それしか知らなかった人間が、キリスト教という一神教を見た時の違和感とか。

スヌ家の男性が処刑されるかもしれない時に、それを止めるために言った「殉教者を出すな。西洋人の宣教師が喜ぶだけだ」という言葉とかね。それはつまり、信仰のために死ぬなんて、もう近世のヨーロッパではあり得ないことだから。西洋人から見た未開の地でなければ起こらないこと。言ってしまったら、それはある種の「信仰エンタテイメント」になってしまうよ、と。

キリスト教を信じる者と、信じられないで居る者が、迫害を受けるキリスト教徒を救おうとする。それに対して、感謝を捧げるキリスト教徒が居る。

お互いに、相手が好きだから、優しくて。それでも、理解出来ないものがあるから、歯痒くて。どんな神を信じていようと、いまいと、人間が出来ることには限りがあるから、悲しくて、辛いことが起こって。

そうして最後は、三人全員が歴史の狭間に消えてゆく物語です。

歴史小説は物悲しくてナンボという気が、個人的にはするのですが、その点、この作品は秀逸だったなと思います。

で、冒頭の台詞は、とある状況でジュリアンたちを裏切ることになってしまい、実家に連れ戻されたフランに対して、ジュリアンが言った言葉です。貴方を許します、許すことが私たちの信仰です、と。

もちろん、これはジュリアンの勝手であって、フランにはフランの言い分があるんですけど。

でも、優しい台詞だなぁと。これと、ジュリアンの最後の台詞である「また会いましょう」が、物凄く優しくて、沁みたんです。

ちょっと久しぶりに、似非クリスチャンの気分が濃厚です。

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