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2015年11月16日 (月)

世界というものは複雑に絡み合っている

本当なら、トルフィー・エリック・ボンパールの話をしたかったところですが、そうも言っていられなくなったので。その原因になった件に関して、ゆくりなく思うこと。

最初に思い出したのは、マドリードのアトーチャ駅に行った時のこと。今はもう、そんな面影はありませんが、かつて爆弾テロがあり、数十人の犠牲者が出た現場でした。

そういうことが、以前にはロンドンでもあった。今度はパリ。

次は東京かもしれない、と思うのは、安直だけど自然なことです。

ほら見ろ、だからアメリカに追従していくと碌なことが無いんだよ、と言うのは簡単です。そうすることで、中東から向けられる目が厳しくなるのも、一面の真理ではあります。

でも、だからといって、今すぐにばさっと前言を翻せない。国家としての信用問題もあるし、安全保障政策全体のバランスもある。個人的、見直して欲しい点は多々ありますが、それは慎重になされるべき。すくなくとも「やめた、以上」では終わらない。

テロ怖いから逃げます。それはテロに屈したことになるんでしょう。それでいいのか?という問題もあります。

Facebookで、自分のアイコンにフランス国旗を重ねて、犠牲者に哀悼の意を表するキャンペーンをやっています。それについて、賛否があるそうで。

賛否がある、それ自体は健全で真っ当な現象でしょう。

私個人の見解を述べるとするなら、例え物事の表面だけを見て深く考えずに取った行動であったとしても、惨劇に対してシンパシーを表したい、犠牲者に弔意を表したいと思う柔らかい心遣いは、非難される筋合いのものではないと思います。私自身はもうすこし色々思うところがあるから、それはやらなかったけど、誰がするとしても、その行動は「あり」だと思います。というか、とても健全な心の動き、所謂「人情」ですよね、それは。

もちろん、フランスに渡航・滞在した経験があったり、友人や知人が居たり、何らかの思い入れがあって、衷心からの思いを表現したい人も多数存在するんでしょうし。

空爆なんかするから報復されるんだよ、と言うのも、それはそれで簡単です。

だけど、じゃあ、ISを永遠にのさばらせておいて良いのか?という問題も、そこにはあるんです。放っておけばおくほど、別の場所で別の犠牲が出ます。例えばISが迫害している、ヤジド派キリスト教徒。シリアでもイラクでも、ISによって圧迫されている人は何万人という単位で存在する。

もちろん、それに対して空爆が有効であるか、という問題はあるにしても、です。

地上軍を派遣したら、それはそれで泥沼になるんでしょうけどね。例えばアフガニスタンのように。

だからといって、話し合いに応じる相手でもない。これはシリアのアサド政権もでしょう。こういう具体例を見ているので、私は「平和を求めるなら武力を放棄して対話を」としか言えない人は信用しません。理想は理想でいいんだけど、それではどうしようもない現実は、確かに存在する。

その上で、武力を行使することに対する葛藤が、凄くある。

例えそれがピンポイント爆撃だとしても、空爆なんかすれば、一般市民の犠牲者が、絶対に出る。でもそれは、地上軍を派遣しても同じ。座して見ていても内戦は悪化する一方。だからといって、特にISは話し合いには応じてくれない。話をしようよ、と言っている間に、また犠牲が増える。

認めたくはないけど、ISにはISの正義があるし、アサド政権にも、多分ある。フランスやアメリカにも。国家にとっての正義とは国益です。

そのどれも、完全に「悪」として一刀両断は出来ない。あっちを立てればこっちが立たない。

そのどれかに肩入れすると、別の方向で被害が出たりする。誰かが手を引くと、現状のバランスが崩れて、何が起こるか分からない。状況全体で考えたら、悪化することだって十分にある。

すべてが複雑に絡み合って、解こうったって解けない。そういう現実。

あるいは――今回、パリでの犠牲者数が百二十九人。もちろん、死ぬ理由など無かった人々です。

ただ、恐らくそのくらいの人数は、シリアに行けば毎日のように死んでいる。というより、恐らくもっと。だからこそ、彼らは難民化する。そんな彼らに、あるいは失われた命に対して寄せる心は無いんだろうか、という問題にもなりますよね。

テロリストが怖くて難民を締め出したら、彼らはどこへ行けばいいのか。でも、それだって我が身になってみれば、綺麗事では済まない。他人の生死より、家族や友人の安全が気になる、これも人情です。

ね、だから、あっちを立てればこっちが立たない。何万人の外国人がどうなろうと、自分や家族の安全が大事。これも正義なんですよ。私だって、シリア難民百人とうちの息子の安全を天秤にかけたら、問答無用で後者を選びますもん。

それって、全体を俯瞰したら、事態を悪化させる選択なのかもしれませんけど。でも選べない。

もう何を言っているのか分からなくなりつつありますが。

そんなことを考え続けたら、やることはあるけど、それは多分、トリコロールをアイコンにすることじゃないな、と思った次第です。で、その話はFacebookでした方が良いのかな、とも思ったんですが、私と繋がっている人たちの過半数は、そういう話をする雰囲気の人たちじゃないので、こちらにしてみました。

最後に――これは私も人に言われてはっとしたんですが、中東各地にイスラム過激派が散らばった諸悪の元凶は、ソ連のアフガン侵攻だよね、と。あの時、ソ連に対抗するためにアフガンに集った義勇兵たちが、長じて過激派に変わっていった。それがひとつの事実。ソ連に対抗するために、義勇兵を支援し、軍事力を身に付けさせてしまったのがアメリカ。それもひとつの事実。

アメリカも、ソ連も、義勇兵たちも、みんな各々の正義のために行動していた。

その結果が、この現状。

しみじみと、簡単じゃないんです。

その複雑さを忘れないでいたいのです。

その一方で、複雑だからと立ち竦んで、何もしない。これも避けるべきだと思います。

怖いから関わり合いになりたくない、と言いたいのが人情で、ついそう思ってしまうこと自体は否定しても仕方ない。ただ、目を瞑っていても現実と離縁は出来ないから、目は開けざるを得ないのです。

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