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2006年7月25日 (火)

サッカーチームの作り方

いや、誰もしないから、勝手にジーコジャパンを総括しちゃおうかなって(笑)

とは言うものの、私、W杯も含めて日本戦は、弟(十年越しのサッカー小僧にして、元ガンバ大阪の担架運び君)の付き合いで観ていただけだし、Jリーグもとんとご無沙汰だし(そこまで手が回らないから)、素晴らしく勝手な言い草になっちゃうのだけど。

結論から言うと、失敗でしょう。

グループステージ敗退は、組み合わせの不運もあるし、国そのものの実力もあるから、仕方ない。それを悪いとはしません。悪いのは、残るものが無いってことよ。ジーコは監督時代、誰を抜擢し、何を後に繋げたのか。不明であります。少なくとも、松井や阿部のような新戦力の台頭を好まなかったイメージがある。スタメンの顔ぶれ、半分以上四年前と一緒ですからね。現代表の主力の多くが、ジーコと相次いで代表を去り、あとはペンペン草も生えない荒野…って笑えなさ過ぎる!

なお悪いことには、W杯という大舞台を前にして、代表チームを「戦闘集団」として完成させるのに失敗しました。四年前、あんなに前を向いて、走っていたのと大差ない面子が、気概も体力も失っていた。それがなぜだか分析する術を、私は持っていないけど、すくなくともジーコが言った「日本サッカーの未成熟」「前回あったホームの利」だけで片付けて欲しくない。四年前の彼らは、日本なりに強くて美しかった。それは、「勝つぞ」という強い気持ちがあり、プライドがあって、集団として機能していたから。私は忘れていない。

キーワードは「戦闘集団」。勝つために組織された23人。それに仕上がっていれば、勝ち負けはどうあれ、監督の最低限の仕事は出来たとしましょう。その後、選手が思わぬポカをやらかして負けることもあれば、采配を誤ることもあるだろうけど、その責任は、試合毎の話。とりあえず試合に臨むまでに、することがある。それが最低限というわけ。私の目で見た限り、ドイツ大会のアズーリが強かったのは、このレベルにおいて郡を抜いていたからで、日本代表に希望が持てなかったのは、このレベルで思いっきりずっこけていたから。

トルシエは選手を型にはめる人。ジーコは選手を自由にする人。こう、紋切り型に言われ続けてきた。一定の理は認める。短絡的すぎるとも思うけど。ただ、私はチームに「闘える準備」をしてくれるなら、方法は問わない。あと、戦術と個人技を対立項目にするのはナンセンスだと思う。もうアリゴ・サッキの時代じゃないんだし。

本当に優れた戦術とは、選手に自由を与えるもの、であるはず。少なくとも、エース級が遺憾なく力を発揮できなくては、そのフォーメーションなり、起用方法なりが、優れているとは言えないでしょう。ただ、自由は無制限ではない。一人の人間が無限の力を得た時点で、組織は崩壊する。そして、サッカーチームとは紛れも無く「組織」である。だから、約束事は存在する。そのために、誰もが一定の「自由」を差し出す。それは、より大きな自由を侵害しないためのもの。国に法律があるのと一緒だ。

あちこちで「オーストラリア戦での、小野の交代が意味不明だった」てな話を聞きました。確かに彼は「守備的なポジションに居る、わりかし攻撃的な選手」だから、ある意味半端なんですよね。私にも「そこでこうくるの?!」と思えた。で、どこぞの新聞で「選手たちはそんなことも考えられなかった」って書かれてたけど、それもまた違うでしょう。選手と監督の、意思の疎通がなってないだけだ。

本当に優れた選手交代とは、それを受けた選手たちが「そうか」と監督の意図を理解し、それを実現するために、考え出せる、動き出せるような采配じゃないでしょうか。極端に分かりやすい例を挙げれば、オーストラリア戦のヒディング、あの、どんどん攻撃の駒を追加する、お馴染みの超強気采配。懐かしいところでは、四年前、ロシア戦でトルシエが切った最後のカード、中山。スタジアムがどっと沸く。わけがわからないロシアの選手が怯える。それだけで、消耗する試合後半には効果大。日本の選手には力が湧く。自分の背後に背負っているものを、思い出す。「これは、ホームで戦うW杯。たるんでないで闘え!」というメッセージ。そうじゃなかったか?

言っておきます。私、オシム大好きです。だから、彼が監督になってくれて嬉しい。だけど、彼の話はまた、一年くらいして、すこしは結果が出てからね。監督とは、そういう商売。

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サッカー」カテゴリの記事

コメント

ワールドカップで日本代表が一勝も出来なかったにもかかわらず、日本サッカー協会は自らの責任や評価を明確にしようともせず、なぜ次の監督選びに進むのか?そこにはサポーターやマスコミの責任追及の眼を、そらせようとする意図が見える。
まずは、ジーコジャパンの清算から始めるべきだ。それなくして、日本サッカーの発展と未来はない。
監督としての実績はおろか、経験すらなかったジーコを2億円近い莫大な年俸でつり、日本代表監督に祭り上げてしまった、協会の責任は重大だ。この責任を問わずにこのまま置き去りにするのであれば、川淵三郎会長始め、協会幹部による日本サッカー協会の私物化といえる。
四年前、ワールドカップを日本で開催し、協会は経済的に潤った。いつの時代も経済が発展するとアカがたまり、水は淀むと腐る。アカがたまり、腐っているのが今の協会であり、大掃除が必要だ。このまま彼らを放置したら「腐った饅頭」を食べさせられたサッカーファンや選手が食中毒を起こし、最悪の場合死に至る。
川淵会長は、ワールドカップ日本大会で結果を出したトルシエを、大会終了後もわざわざテレビに出て、誹謗し、もともと監督としてやる気もなかったジーコを無理やり代表監督にし失敗した。
川淵はもちろんのこと、技術委員長の田嶋らジーコを監督として起用することに反対しなかった協会上層部は、一刻も早く職を辞し、ハローワークへ行き新たな職を探し、仕事の厳しさ(仕事には常に責任が伴う)を認識すべきだ。自力で頑張り、今日本で求職中のトルシエを見習うべきだ。小倉副会長が今大会において、アジア勢の戦績が思わしくなかったことに、次回大会のアジアの出場枠が減らされる危機感を表したそうだが、「なぜ今頃?」と思わざるをえない。これでも日本サッカー協会の副会長か?こんなことはド素人のおれでも4年前に監督経験のないジーコが日本代表監督に決まった時から危機感を覚え心配していた。3年後のアジア最終予選のころには、Wユース準優勝組でさえ30歳となり、体力的にはピークを過ぎた身には中東や東南アジアの暑い気候はきつい。さらにオーストラリアがアジアブロックに加わり、中国は2年後の北京五輪に向け強化し勢いづく。
アジア出場枠が現状維持の4.5でも厳しくなるところへ、今回の結果をうけ、もし0.5減らされでもしたら大変だ。こうした観点からも今大会、一勝くらいしておくべきだったが、先を見据えた危機感のあまりにもない副会長にたいして危機感を覚える。
ジーコが監督に決まったとき、一番不安に思ったことは、監督として修羅場をくぐって来た経験がないこと・戦える集団作りができるのか・守備を教えられるのか…などだった。
ジーコがアントで監督代行を務めた時の試合を見ていれば、ジーコの監督能力に十分疑問を感じられたはずだ。当時、交代した選手の投入意図も不明で、効果もなく疑問だらけの采配だった。wカップのオーストラリア対イタリア、ドイツ対イタリアの試合では、守備に問題があるチームが破れ、極端に守備力のあるフランスが決勝まで進んだ。wカップ出場国のなかではまだ弱小国に入る日本が守備をおろそかにしたら、勝つことを放棄したに等しいが、やはりジーコには守備は教えられなかった。

美しい攻撃のブラジルと美しい守備のフランスの対戦も守備力に軍配が上がった。「攻撃は最大の防御なり」というのは、サッカーにおいては、迷信だということがよく分かる試合だった。守備重視だったセレーゾのサッカーを、つまらないと感じる人もいたが、世界の中の日本代表のレベルでは、ああいったチーム作りの方が現実的で、勝てる確率は高まり、wカップは普段サッカーを見ない人たちが極端に多くテレビ観戦をしますので、勝つことでにわかフアンを喜ばせることが出来、将来の選手やサポーターとしてJに取り込むことが期待できる。
経験と実績が豊富なヒディンクと監督としては素人のジーコが拮抗した戦力で対戦したら、3-1のスコアは妥当な結果だったといえる。5年前のコンフェデでは、オーストラリアにトルシエジャパンが勝利していたことを考えると、トルシエが選手や協会、マスコミなどいろんな方面と戦いながら、苦労と時間を掛けて作り上げたものを、自由の名の下ジーコが全てをぶっ壊してしまったといえる。8年前の岡田ジャパン直後に逆戻りだ。
今大会の第一戦と第二戦のジーコジャパンと前回大会の第一戦と第二戦のトルシエジャパンを改めて見比べてみると、選手選考・攻撃力と守備力・途中交代選手の起用法・決定力のないFWの使い方などあらゆる点でトルシエジャパンは、圧倒的に洗練されているのは良く分かる。戦うモチベーションの高め方も上手かった。それに対してジーコジャパンはまずさばかりが目立つ。ジーコの集大成となったオーストラリア戦は見れば見るほどレベルの低いゲームだ。どうもジーコの采配には起承転結が感じられず、起承まで行きそのまま試合終了になるゲームが多い。
ジーコジャパンにおいて、選手に問題があったとするならば、それはそういう選手を選んでしまった監督自身に問題があったといわざるをえない。なぜ中田浩や松田、明神より茂庭や駒野や坪井が良かったのか知りたい。
いい加減な代表監督人事は将来必ずツケがJリーグに回ってくると問題視していたが、早速ひとつの問題が現実となったのが、次の監督問題だ。
いろいろな監督を何度試しても上手くいかず、観客数も圧倒的に少なかったジェフに、ようやく薄日が差しかけた矢先、協会によるオシム監督の強奪に対するジェフサポの怒りは当然だ。ジェフの戦績は低迷し、その責任は金銭的な面も含め、全てクラブが負って来た。しかし、wカップで無勝のまま終わったにもかかわらず、なんの責任も負わないどころか、ジェフに責任を転嫁してしまったサッカー協会。これは協会によるJクラブの破壊活動といえる。
日本サッカー協会には自らの責任とリスクで、監督をよその国から探してくる能力がなぜ無いのか?
協会の眼に余る無責任な体質は、今問題となっている日本スケート連盟の二の舞いに発展しないか心配でたまらない。

次期日本代表監督もオシムに決定のようですが、オシム本人曰く「日本人は自分達がトップレベルにあると勘違いしている。出来るサッカーとやりたいサッカーは違う」
一方で川淵三郎曰く「ジーコのサッカーを引き続き、継承できる監督を選んだ」
オシムが言っていることは、日本人選手の現在の能力とジーコサッカーのギャップの開きへの批判と苦言で、トンチンカンな協会への適切なメッセージだ。オシム本人と川淵が言っていることは180度異なっている。

代表監督はヨーロッパ人(クラブレベルでは別)でサッカーと経済の先進国から、責任感と共に実績のある人物を選ぶべきです。

日本代表監督の退任を誰ひとりからも惜しまれることもなく、日本人選手の悪口だけを言ってブラジルに帰って行ったジーコを心から残念に思う。

次の監督には、退任時に一人でも多くのオシムひとがいる人物になってほしいですね。

ぼんさん、はじめまして。気合の入った長文をありがとうございます。

私は、なんだか最近、川渕さんが城田元日本スケート連盟強化部長に似てきたなぁ…と思いながら、横目でちらと先行きを案じております。

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